1988年、アメリカの片田舎で『ラスト・エンペラー』を香港人の友達と鑑賞したあの頃のこと
1988年の夏から約1年間、交換留学生としてアメリカに滞在していた。
田舎であまり娯楽もなく、月に一度の大学構内での映画鑑賞会が楽しみだった。
その月の映画は『ラスト・エンペラー』。
留学生仲間の香港人の女の子と連れ立って見に行った。
美しい画面、美しい音楽。衝撃のストーリー。
坂本龍一が音楽を担当し、また役者として出演していることもあり、当時話題になった映画だった。
封切り時に日本で一度見ていたし、丁寧でゆっくりとした英語なので、渡米後まもない私でも十分楽しめた。
映画が終わって、何の気なしに
「あの映画に出てた天皇、今病気で日本中で大変なことになってるよ」と言ったら、
その香港人の友人は心底驚いた顔をして、こう言った。
「戦争に負けたのに日本にはエンペラーがまだいたんだ!」
…
それまで、天皇の存在の是非についてなど考えたこともなかった私には、とても新しい視点だった。
また、日本が負けた、ー Japan lost the war.ー という、ごまかしのないクリアな表現も新鮮だった。8月15日は、いつだって「終戦」記念日だった。戦争に負けた日ではなく、あくまでも、戦争が「終わった」日。
しかも、
歴史として映画に登場する人物が存命で、今その長い一生に終止符を打とうとしている。
そしてその母国で起きている歴史的瞬間を遠くで見ている。
というシチュエーションがまたなんとも不思議な感覚で、強烈で、
歴史の一部を目撃したような、自分もその一部になったような、
そんな錯覚をしたような、高揚した、ふわふわした気持ちにつつまれた。
…そんなことを北米の片隅でアジア人ふたりが話した数ヶ月後、年が明けてまもなく昭和天皇はご崩御された。
ちょうどクリスマス休暇でニューヨークに滞在していて、紀伊國屋書店で新聞号外をもらって知った。
留学を終えて日本に帰ってきたら元号が変わっていて、消費税が始まっていた。
国中がバブル景気に浮かれていた。
思えば当時の香港はイギリス領だったので、第二次世界大戦の戦勝国側だったのだな…と今になって気づく。
香港には、文化大革命等の混乱時に、大陸からたくさんの人が流れてきたと聞くけれど、中国本土とて戦勝国なのであった。
そのことと、当時の彼女の発言がどう関係していたのか、今となっては確認のしようもないけれど…。
当時は香港の中国返還が数年後に迫っていて、香港人留学生はみんな卒業後アメリカもしくはカナダに移住する気満々で本気度が違った。
まだ中国本土からの留学生なんて皆無だった時代。
その後、彼女はアメリカ人の伴侶を見つけて結婚して、アメリカに移住した。
香港デモのニュースを聞くたびに、彼女や他の当時の香港人留学生たちの今に、思いを馳せている。